過去のインフレーションから見た現在のインフレーション
歴史の中で株式市場は比較的に新しいものである。
過去の投資家が株式市場を見る視点は、現在とは大きく異なっていた。
昔の金利は今よりはるかに高かった。
19世紀末から20世紀初頭の場合、企業側は自社の株式に投資してもらうためには債券金利よりも高い配当利回りを提供しなければならなかった。
配当利回りは、投資家が金融市場で考慮する数少ない価値評価指標の1つだった。
債券金利と配当利回りは、株式市場が高評価されているかどうかを判断する投資家にとって非常に単純な指標だった。
株式市場の配当利回りが債券金利を下回ることは、株式市場が高すぎるというシグナルであり、売却するタイミングだった。
1907年と1929年に起きた大きな金融危機の前にもこのシグナルは正しかった。その後、この指標は意味がなくなってしまった。ピーター・バーンスタイン氏は「Against the Gods(翻訳:リスク)」でこのように説明している。
配当金が債券利子より高い場合にのみ投資家が株式を買ったことは驚くべきことではありません。配当金が債権利子に近づくたびに株価が下落したのも当然です。少なくとも1959年まではそうでした。当時、株価は急騰しており、債券価格は下落していました。
それは、債券に対する利息比率が急増し、株価に対する配当利回り率は急落していたという意味です。
債券と株式の格差は大きくなりすぎたため、互いの関係は意味がなくなりました。
株式が債券よりも多くの収益を出した時の規模より、債券が株式よりも多くの収益を出す時の規模がはるかに大きかったです。
現在を過去と区別する主な要因がインフレーションです。1800年から1940年まで、生活費は年平均でたった0.2%ずつ上がり、実際には69回も落ちました。1940年の生活費指数は140年前に比べて、わずか28%上がっただけです。このような状況では、固定された金額で評価された資産を所有するのは楽しいことであり、固定された金額のない資産を所有することは非常に危険でした。
第二次世界大戦とそれに伴う経済的な環境がこの状況を大きく変えた。
1941年から1959年までのインフレは年平均4%だった。
19年間、物価は2倍になった。
このような状況は債券投資家にとってあまりよろしくなかった。
バーンスタインは1945年の10年満期国債の価値1ドルが、1959年には82セントになったことを指摘した。それはインフレが起こる前のことだった。
1959年の82セントでは、1949年に買えたものの半分しか買えなかった。
一方、同じ期間に企業たちが支払った配当金はロケットのように飛び上がった。
1945年から1959年の間、配当金は3倍まで急速に上昇し、下落した年はたった1年しかなく、下落率は2%に過ぎなかった。
そのため、投資家は株式を株価や配当金が予測できなく変動するようなリスク資産として認識しなくなった。
今の配当金のために支払った株価はますます重要ではなくなった。
重要なことは、将来的に発生する配当金が増加する流れだった。
時間が経つにつれて、配当金は債券の利子を超え、それに応じて株式の資本価値も上昇すると予想できる。
株式が提供する「成長」と「インフレに対するヘッジ」に対して、プレミアム支払って保有し、金利が固定されている債券を諦める方が正しくなってきた。
これで投資家は、株式がインフレに対する長期的なリスクヘッジの手段になるが、株価が高まると市場に政権交代を引き起こす可能性があることが分かった。
インフレが市場において比較的に新しいトピックであることを考えると、なぜこんなに難しく、人々を怒らせているのかが理解できる。
我々は、長い間インフレを経験していない。急激な物価上昇の影響について経験がある人はほとんどいない。
過去にも、全般的なインフレーションは低かったものの、なかったわけではない。もっとその周期が定期的だった。
下のグラフは、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの米国の年間インフレーションである。
インフレは年平均2%に過ぎなかったが、このうち25%程度の期間中は5%を上回っていた。約7年ごとに1回ずつ10%以上のインフレを経験した。
しかし、デフレも3分の1以上の期間であった。穏やかな期間がほとんどない状態で、もっと多くの経済的な変動性があった。この数字を1982年以来の40年間と比較してみよう。
インフレが10%を超えたことは一度もなかった。全期間の3%でのみデフレが発生したことに対し、5%以上の期間は8%に過ぎなかった。
しかし年平均にすると3%以上だった。
インフレについてはまだ理解できないことが多く、特に物価と消費においては、大きい心理的な要因があるからである。
もし、政府が引き続きお金を費やしたり、エネルギー危機が悪化すると、インフレはしばらく高い水準を維持する可能性がある。
しかし、もしFOMCが金利の引き上げ過ぎて、経済が停滞すれば、深刻なディスインフレーションやデフレもあり得る。
おそらく今後は、過去40年間で経験したことより多い経済的ボラティリティを経験するだろう。多分、新型コロナの大流行から始まったことかもしれない。なぜなら経済的に奇妙なことがあまりにもたくさん起こったからだ。
物価と金融市場、いずれも次なにが起こるかについては、その可能性を広げておいた方が良い。バーンスタインの言葉で締めます。
思いもよらないことが起こる可能性があるという事実は、私の人生観、特に投資に影響を与えてきました。 それは未来に対する私の態度を彩り続け、過去から推論することが正しいかについて、懐疑的になりました。
出典:The Present & the Past of Inflation
株式市場の弱気相場の分析:底値をつけるまでの時間と回復期間
株式市場の未来に向けた展望
弱気相場が底値をつけるまでにはどのくらいの時間がかかるのでしょうか?現在の弱気相場がいつ終わるのかはわかりませんが、過去の弱気相場の傾向を見てみると、弱気相場も最終的には終わりがあることが分かり、少し安心できます。以下の表は、第二次世界大戦後のすべての弱気相場で、高値から底値までの期間(月)と底値から再び前の高値まで回復するのにかかった期間(月)を示しています。
弱気相場の期間(月) | 回復期間(月) |
---|---|
平均 12 | 平均 24 |
平均して、弱気相場は約1年間続き、その後に前の高値を回復するのに平均約2年かかりました。もちろん、弱気相場の期間はケースによって異なることがあります。一部の弱気相場はより長期間続いたり、逆に短期間だったりしました。
弱気相場の継続期間と回復見通し
20%の下落までの期間が底値をつけるまでの期間よりも長いことが一般的な傾向です。しかし、すべての弱気相場が極端になるわけではありません。最も良いケースは、1948〜1949年と1957年で、20%の下落後すぐに底値をつけました。
また、過去の12回の弱気相場のうち7回で、株価が20%下落した後わずか46日で底値をつけた事例もあります。更にそのうち5回では1ヶ月未満で弱気相場が終了しました。
注意すべきポイント
一方で、1973〜1974年の弱気相場では、20%の下落後に底値をつけるまでに10ヶ月かかりました。2000〜2002年の弱気相場ではほぼ19ヶ月、2009年には底値をつけるまでに8ヶ月がかかりました。これにより、弱気相場の回復速度は異なることが分かります。
未来への不確実性と対策
現在の状況を楽観的に見るデータと悲観的に見るデータの両方が存在します。したがって、統計データは参考程度に受け止めるべきです。
いつ弱気相場が終わるのか、そして底値をつけてから前の高値を回復するのにどれだけの時間がかかるのか、これらの予測は難しいものです。ただし、株式市場はいずれ再び前の高値を回復するでしょう。そうでなければ、株式市場への投資の意義は失われてしまうことになります。
恐怖指数(VIX)、今投資家は株式市場の未来をどの考えている?
S&P 500指数が年初以降、下落し続けるなど
2022年の米国株市場は大変、荒れている。
しかし、2021年と2020年の素晴らしい収益率を記録した後
投資家は実際にどれほど怯えているだろうか?
それをわかる一つの指標が「恐怖指数」とも呼ばれるボラティリティ指数(VIX)である。
VIX指数は株式市場がどれほど怯えているかを示す良い指標である。
今後の数カ月間、株価がどれだけ揺れるか投資家の予想を追従する指標だからだ。
VIX指数が高いと、投資家が株価が大きく揺れると予想されるという意味で
低いと株価がそれほど揺れないと予想できる。
最近のVIX指数は約30前後で、
過去15年間の平均である18~19をはるかに上回っている。
しかし、2008~2009年の世界金融危機や、
2020年3月の新型コロナの大流行の時は
80を超えており、その時に比べると大きく下回る状況である。
投資家たちが怯えている原因
もし株式市場が人だったら、友人に次のような内容で悩み相談するだろう。
インフレで世界的に物価が上昇しているし、
ウクライナ、ロシアの問題もある。
また、新しい変異ウイルスのリスクが高くなり、新型コロナは終息していくか未知数なんだ。
この中でどれが株式市場に最も大きな影響を及ぼしているかについて明確にすることは科学より芸術の領域に近いが、
少なくとも上記すべての問題が交わっている状況は、明らかに株式市場とって良くない
出典:The Fear Index — Chartr: Data Storytelling